兄妹

 

母方の祖母の兄の墓参りをしてきた。

 

大伯父というのだろうか。

 

今で言う季節性インフルエンザのようなもので熱を出して寝込んでいる大伯父を祖母が看病しに実家に帰っていたと聞いている。

 

今なら抗生剤入りの注射で治るのかもしれないが、看病の甲斐なく大伯父は亡くなった。

 

そして不孝なことにその10日後に祖母も大伯父の病をもらい亡くなったという。

 

昭和13年4月5日と15日のことだ。

 

大伯父は32歳、祖母は28歳だ。

 

祖父は支那事変の戦地で祖母の訃報を手紙で知らされたと手記に書いている。

 

疑問もある。

 

そのとき母は3歳、伯父は7歳で叔母はまだ1歳。

 

祖母の嫁ぎ先に女手はなく誰が幼い兄妹をみていたのか?

 

まさか病人のところに幼い兄妹を連れて行ったのだろうか?

 

だとすると祖母は看病に帰ったというより、兄が危ないと聞いて急いで嫁ぎ先から実家に帰っていたのではないだろうか。

 

最後に交わした兄妹の会話はどんなものだったのだろうか。

 

優しい母や叔母の人となりから会ったことのない祖母のその兄へ向けた言葉を想ってみる。

 

兄妹を立て続けに失った曹祖父母の心境はどんなものだったのだろうか。

 

そんなことを考える歳になってしまったようだ。

 

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紛争地帯

 

この地上で

 

人が土地を追われ

 

血の粛清を浴び

 

民族が浄化され

 

利権を求め

 

良き隣人が争い

 

親が

 

兄弟が

 

姉妹が

 

友人が

 

姿を消し

 

命を絶たれ

 

いままさに

 

悶え苦しんでいる

 

なのに

 

作り話なんかに

 

流す涙は本物なのか

 

なにも知らされず

 

なにも知ろうとせず

 

幸福の幻を

 

貪っている無知なのか

 

無力な自分も

 

また無知だ

 

救いがほしい

 

この世で人ほど

 

恐ろしく

 

優しいものはない

 

 

 

 

仮面の涙

 

いつのまにか

 

感情をなくしたロボットみたいだ

 

ロボットは泣かないのか

 

悲しくないのか

 

悲しくないなら

 

ロボットのままでもいい

 

感情を取り戻すより

 

ロボットのままがいい

 

感動なんかしない

 

涙なんか流さない

 

泣けないほどつらいこともある